統合スポーツ共遊球技の実践と理論

虚弱高齢者、重度障害者のスポーツ権の保障

統合スポーツ共遊球技研究所 竹内啓也


はじめに

『統合スポーツ』も『共遊球技』も、ともに私の造語です。2000年3月、62歳の定年を4年も前に退職して、この造語をつないだ私設の研究所を創り、新たな種目開発、これまでに作った種目を普及するための施設訪問、商品化してくれる業者探し、「統合スポーツ」分野の必要性の首唱、それは、その最初の種目を世にだした者の責任と任務なのだとかんがえます。1987年養護(盲)老人ホームの生活指導員の時代、「盲老人のスポーツ」の必要に迫られて、苦し紛れに「高齢者」であり「視覚障害者」でもある入所利用者の協力をえて考案した「スティック・ボウリング」は、ふれあいと世代間交流の種目であり、今から考えると、虚弱高齢者と重度障害者のスポーツづくりの必須条件を全てかねそなえていたのです。共に遊ぶことのできるボールゲームだから「共遊球技」であり、全ての人が参加の平等と、誰にでも勝利のチャンスの平等があるものだから、「統合スポーツ」としました。このことを可能にしているものは、得点のところでの意外性、偶然性、運を生み出す「壁」の存在です。9割以上の偶然性を楽しみ合って競うスポーツがあってもいいのではないでしょうか。「遊び」や「偶然」をキーワードにして考えてみます。

 

第1章 第1節 人権としてのスポーツとその内容 国際的動向
オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは1938年『ホモ・ルーデンス ―人類文化と遊戯―』(高橋英夫訳)で人間の本質的機能として「ホモ・フアベル」(作る人)と並んで一つの位置を占めるに値するものであるとして(「ホモ・ルーデンス」(遊戯人)とした。
さらに現代フランスの代表的知識人といわれるロジェ・カイヨワも1958年『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫訳)を著し「競争」(アゴ-ン)・「運」(アレア)・「模擬」(ミミクリ-)・「眩暈」(めまい)(イリンクス)に遊びの体系的な分類を提起した。(さきに出版された清水幾太郎・霧生和夫訳では「運」を「偶然」訳しているが入手できなかった)。なお、アレアはラテン語で「サイコロ」を意味することから「賭ける」「賭けごと」と分類されている。)
1968年ユネスコの「スポーツ宣言」では、「プレイの性格を持ち自分自身や他人との競争、或いは自然的要素との対決を含む全ての身体的活動は、全てスポーツである。」としている。ここで「プレイ」とは「遊ぶ」ことであることを確認しておきたい。
1975年「スポーツ担当相会議」(ヨーロッパ会議)においてスポーツ・フオー・オール(sports for all)「みんなのスポーツ憲章」が出され「すべての個人は、スポーツを行う権利をもつ」とした。このような動きが他の国にもあり、ユネスコが1978年「体育・スポーツ国際憲章」としてとりまとめた。その第1条には「体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である。」とうたい上げている。ここにおいて虚弱高齢者、重度障害者のスポーツ権は、「ホモ・ルーデンス」としての欠かすことのできないプレイの権利であり、遊びの権利であり、スポーツから遠ざけられていることは人権侵害以外のなにものでもないといえます。

 

第1章 第2節 人権としてのスポーツ 日本の政策の視点
ここでは本稿に関わる動向に限ってピックアップしてみたい。ユネスコの「体育・スポーツ国際憲章」が各国の代表の満場一致で採択されたように、国際的機関の決定にあわせて日本のスポーツ政策も後追い的ではあるが進められている。具体化のなかで見られる日本の特徴はプレイや遊びの観点がないことです。たとえば1961年の「スポーツ振興法」でみてみると、目的である第1条の中で「もつて国民の心の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与すること」となっているように「心の健全な発達」であり、施策の方針である第3条は「ひろく国民があらゆる機会とあらゆる場所において自主的にその適正及び健康状態に応じてスポーツをすることができるような諸条件の整備につとめなければならない」としているように「健康」だけであって「遊戯」はでてきません。
むろん、「あらゆる機会とあらゆる場所」及び「健康状態に応じてスポーツをすることができるような諸条件の整備」は望ましいことです。
1966年の身体障害者福祉審議会の「身体障害者福祉法の改正その他身体障害者福祉行政推進のための総合的方策」について(答申)第2部各論第5章第5節に「スポーツの振興」をあげ「身体障害者とくに下肢障害者、体幹機能障害者、重度の視覚障害者は、十分な運動を行なう機会に恵まれないため、体力が弱く、内臓機能も活発でない等疾病の予防、健康の維持の面で障害となっている場合も多い。これらの障害を克服する手段としてスポーツの振興が強く要望されているが、ただこれにとどまることなく障害者の機能の改善、社会適応性の付与のためにもきわめて有効である。」とし、その後に身体障害者スポーツ大会の日本のあゆみと、この振興をはかることを述べている。これもまた「遊戯」の視点を欠いていることは日本のスポーツ観をでていないのであるが、精神面の健康への言及がないのは腑におちないことである。その上、「振興」の中身が身体障害者スポーツでは、身体障害者全てのスポーツ参加にはつながらない。第5節の最後に「・・・身体障害者のスポーツを医学的、社会的に効果あらしめるためには、身体障害の種類、程度等に応じたスポーツの種目、競技方法等を確立する必要があるので、これらについての研究を行なうことも大切である。」としていることに意義を見だしたい。

 

第2章 第1節 なぜ「障害者スポーツ」ではなくて「統合スポーツ」なのか
ここで、日本身体障害者スポーツ協会編「身体障害者スポーツ競技規則の解説」をみてみたい。『1身体障害者のスポーツは原則として健常者が行っているスポーツを①身体に障害があるためにできない。②身体に障害があるためにスポーツによる事故災害の心配がある。③さらに身体の障害を増悪化するおそれがある。などの理由で、一部変更して行っている。したがって、元になる競技規則は、日本陸上競技連盟や日本水泳連盟など、それぞれの種目連盟の競技規則を母体にして、「日本身体障害者スポーツ協会競技規則」は制定されている』とある。重度者にあらたな種目をつくることを建前上では課題としていないのである。
が、協会関係者も、これだけで身体障害者の全てを網羅していると思っているわけではない。実際の場面で十分に知り尽くしている。例をあげれば車椅子バスケットボール、あの激しい、ぶつかり合いや、転倒等をみればその動きが元気で若い障害者に限られることはあきらかです。パラリンピック種目の障害者スポーツの選手たちがリハビリテーションとしてではなくて競技スポーツに位置づけを願っているほど、競技性の強いものです。
「高齢者のスポーツ」もまた、「ねんりんぴっく」種目に見られるように競技スポーツを昔からしていた人たちを念頭にしています。ゲートボールやグランドゴルフなども元気な高齢者のものであって、虚弱高齢者、重度障害者のスポーツ種目は考案されていなかった。
国際障害者年行動計画(前文)は20年以上前にかかれたものですが「社会は、今なお身体的、精神的能力を完全に備えた人びとのみの要求を満たすことを概しておこなっている。社会は、すべての人びとのニーズに適切に、最善に対応するためには今なお学ばねばならないのである。(略)それからまたスポーツを含む文化的社会的生活全体が障害者にとって利用しやすいように整える義務を負っているのである。」としている課題は決して古くなってはいないと考えます。

 

第2章 第2節 虚弱者 重度者にとってスポーツのバリアフリーとは
これまでにないスポーツづくりには従来の発想から抜け出さねばなりません。なぜならば、「より高く」ではなく跳びあがれない車椅子の利用者、「より速く」できず人より遅くしかできなない人、「より強く」ない弱い筋力しか持たない人、それに、老化度や障害度はひとさまざまです。日本障害者スポーツ協会は、「重度障害者のスポーツへの参加促進等(略)いわゆる楽しむスポーツの普及などを併行してその振興を図る」としています。なぜ新しい種目の開発といえないのでしょうか。憶測の域をでませんが、考える立脚点が従来からのオリンピックを頂点とする競技スポーツのモットーである「より高く」、「より速く」、「より強く」といわれる狭義なものにおいているからではないでしょうか。また、障害者、高齢者向きのスポーツ種目づくりは邪道であるかのような論もあり、私も疑問をもちながらも、そのように思っていたときもありました。でも、視覚障害者のためのスポーツが全ての人が楽しめるスポーツでもあったのです。『変装―自分の未来を旅した一人の女』の著者パット・ムーアがように「年をとった消費者のニーズを頭に入れてデザインすれば、それが結果として私たち、皆にとってよりよい商品であることがわかるであろう」としていますが、共感することができるように、ユニバーサルデザインでもあります。

 

第3章 第1節 あらためてスポーツとは
従来のスポーツが除外してきた、それらの競技の目的をつらぬけない身体上不可能な人々に〔スポーツの権利〕を具体的に保障するためには従来の狭義な定義のままであると大きな矛盾を抱えざるを得ない。そのため、スポーツの定義はより広義なものにしなければならない。そのことは、まったく新しいものであることが必要ではなくスポーツの歴史的定義などにさかのぼることで可能です。第1章第1節の「あそび」や「競争と偶然」をより深く分析してみることが大切です。カイヨワは偶然を元の意味であるところのサイコロとして、競争が「ただ一つの特性(速さ、忍耐力、体力、記憶力、技、器用など)に関わり、一定の限界の中で、外部の助けを一切借りずに行われる競争」としているのに対して、賭け事は、たとえば競馬等のように他人任せとなれば「運命の恩恵を現わし、明らかにする。遊戯者はそこでは完全に受動的だ」としています。しかし「競争」と「偶然」の対称的であって相補的な関係も指摘しています。そして「もっとも、チエスとサイコロ、サッカーと富くじといった例に見られる両極端の間には、二つの態度をさまざまな割合で結合する多くの遊びが、扇状にひろがっている。」とし「たとえば純粋に偶然の遊びとはいえないトランプ、またドミノ、ゴルフ、その他多くの遊びにおいては、遊戯者のあずかり知らぬところで作られた状況、または、ただ部分的にしか左右し得ないゲーム運びをなんとか自分に有利に展開する、そこに遊戯者の喜びがある。」としている。まさに統合スポーツ共遊球技は扇状の偶然側に近いところに存在するものです。さきに9割の偶然とした理由です。もう一つは、ロジエ・カイヨワの遊びの定義は6項目あるが③の「未確定の活動。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の必要があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側にのこされていなくてはならない」としヨハン・ホイジンガは「スポーツは遊戯領域から去ってゆく」といっているが遊戯概念は3項目あるが③に当たるところで「遊戯の目的は行為そのものの中にある。それは、緊張と歓びの感情を伴い、またこれは「日常生活」とは「別のものだ」という意識に裏づけられている」としています。

 

第3章 第2節 統合スポーツ共遊球技の理論化の現段階
共生の時代、スポーツ文化もまた共にすることがもとめられます。遊びとしてのスポーツが増えることが必要です。それでは、なぜボールを使った球技なのでしょうか。本人の体が飛んだり跳ねたりできないとするならば、自分のからだを飛ばすのではなく他のも物に代わって動いてもらえば良い訳で、その点で球は手軽でもあり大、中、小ありでピッタリのものです。神経科クリニックの関谷透氏が薬業者の宣伝紙の「ストレス講座」で「なぜ、球技がストレス解消に最適かという理由は」として「球を操作するゲームは、とにかく変化に富んで、まったく同じ軌道や動きをしません。この予測できない動きが気持を集中させ、他のことを忘れて夢中にさるのです。」と書いていますが、共遊球技はその「球」だから成立しているのです。だから療法的な活用も可と考えています。
従来からの競技スポーツ等の認識から言えば、自らの体を鍛錬し、そのスポーツに合わせからだづくりに努力する者にのみ勝利の栄冠は輝く・・ものでしょう。その努力(筋力アップ等)を禁止薬物使用(ドーピング)で果たそうとする等オリンピックの場にふさわしくない、およそスポーツマン精神を欠いた事態が起きていること、さらにそれがソルトレークでのパラリンピックにもおよび冬季初の薬物発覚「筋肉増強剤」で「金はく奪」等の処分をうけた。これが競技スポーツの頂点とされる場での問題であります。この他にパラリンピックでは、「クラス分け」が、障害の程度が同じような者同士での公正な競い合いを目指すことを願っての措置ではありながら、どのように細かく分けても選手に不満を残し(逆にメダルをいくつも獲得する人はラインが自分の前でひかれたことで得をすることになる。)、出場選手3名だけ、従がって全員が「金」「銀」「銅」のクラスもあつた。このようなことが競技スポーツと障害者スポーツの今日の抱えている難問です。
このクラス分けの愚を繰り返さないで、得点の出るところでの工夫と、球を転がす側でのプレイ者本人への援助(参加の平等)を可とするルールの柔軟さを持たせるならば、世代を越えて、万人が一緒に楽しく遊べるスポーツになります。症状の重い人にハンディ点をつけることなく対等に競い得点することができます。共生の時代、全ての人にスポーツの権利を保障する道が開かれます。

おわりに スティック・ボウリングはこうして生れた
私がゲームを施設利用の視覚障害者と一緒につくりあげたのは、私がスポーツ学を学んでいたからでもなく、スポーツ大好き人間だったからでもありませんでした。むしろ、自分がするのも、観戦することにもほとんど興味を持っていませんでした。必要にせまられて施設の物置から埃をかぶったゲートボールの球とスティック、中空のボウリングピン10本があったのでそれを持ち出してきました。ただ視覚障害者の施設なのだから、鈴入りのバレーボールくらいは欲しいと上司にお願いして2個購入してもらいました。ピン10本を視覚障害者は「ねらう」ことができない不利をもっているからと横1列にピンの中心と中心との間隔をボールの直径分を取りながら並べました。そしてゲートボールの球では小さすぎてスティックで打つことは難しいので大きなボールの方がいいこと、そして当然音の出るほうがいいと鈴入りバレーボールを打ち転がすこととした。ピンと球を置いて打つ距離は5メートルくらい、場所は芝生の上が良いだろうと庭にした。2人の職員に手伝ってもらい最初の人のプレイが始まった。当然ボールの真中にスティックが当たらないとボールの端を打てば回転がついて、とんでもない方向へ転がっていく。ボールは勢いのあるうちは止めるものがない限り止ってはくれない。私はピンの後ろに立ちゴールキーパー役とピンの場所を知らせる音源のタンバリンたたき役をしていました。
もちろんプレイ者側には両足の位置を動かしたり球の位置をしゃがんで触れてもらったりしての援助職員。まだ大事なことがありました。スティックのもち方です。箒しかもったことのないひとは、長箒で畳を掃くもち方となってしまいます。「ゴルフ」や「ゲートボール」を見たことのない人には正に手取り足取りでした、そして、ふらつかないように背後で腰を支えました、「参加のチヤンス」の保障でした。これは日常の職員の体が覚えたものであり職員にとって何も特別なことではないのです。
この段階で留まっていたとすれば、球はピンを1本か2本だけで皆も同じような得点を取り面白くも何ともない遊びで終わったでしょう。これを楽しいものにしたのはどこまでも転がっていくボールを追いかけていくピン側に立つ私の息切れ防止を目的とするピンのうしろに平行に置いたボール止めであり、ピンに向かってこない球をピンの方に誘導するために両側に斜めに置いた壁でした。この2種類の置物で作る日本民家の屋根型構築物の存在が、ピンを倒したボールが勢い余ってこの壁に突き当たり、入射角と反射角の関係で跳ね返り、まだ立っているピンに当たって倒したり、押し倒したり、倒れるピンがピンを倒すドミノ効果で何本か倒すこの意外性、初めから斜めの壁に当てればボウリングの第1投のように、ストライクも出ることもあるスリリングなゲームとなりました。そして、プレイ者参加者観客には実況放送よろしくボールの動きプレイ者の動きをしらせます。プレイする人の「一声」もあれば参加者のコミュニケーションはより深まります。このゲームの楽しさを「意外性」とのみ説明していて「偶然性」と理解するまでに時間を要しました。

 

追記
2004年の6月末の段階で活字として発表した種目は17種類になっています、これらは、日本レクリエーション協会の「共に遊べる球技を創る―福祉レクリエーション財を工夫する―」(竹内著)及び「高齢者いきいきあそび集」の第3集、第4集にそれぞれ4種目ずつ、第5集に3種目(第2集の3種目は単著に所収)。そして未発表の4種目は第6集に応募中です。この他の7種目は施設ボランテアとして実践しつつ理論構築し、さらにルールの変更や用具の改善をはかっています。これらを含めると28種目になりますが、現在の考案と理論の到達段階から見てみると、過去の種目で見直しを要するものがあると考えています。

2004年7月14日現在

 

「共に遊べる球技を創る 福祉レクリエーション財を工夫する」

著者:竹内啓也 発行年月 : 1996年09月 ¥1,260円

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